昭和四十三年十二月十三日 朝の御理解
御理解第七十六節
「人間は人を助けることができるのはありがたいことではないか、と。牛馬はわが子が水に落ちていても助けることはできん。人間が見ると助けてやる。人間は病気災難の時、神に助けてもらうのであるから、人の難儀を助けるのがありがたいと心得て信心せよ。」と。
人間は人の難儀を、ね、助けてやろうと思う。又それを実行する事が出来る。人を助ける事が出来るのが有難いと心得て信心せよ。有難い事ではないかと、こう言うておられる。そこで、このぉ人を助けるという事、それにはまず、そのぉ自身が助かるという事がまず前提になる訳ですね、自分が助かっておらずして人を助ける事は出来ませんですから。
例えば人が溺れておるというのに、はあ溺れておるから助けてやろうと、自分も飛び込んで行って助けてやって、助けてやろうと思っても泳ぎが出来なかったら自分ももろともに溺れてしまわなきゃならないでしょ。ですから人を助ける為には、先ず自分が泳ぎが出来なければ助けられないのです。
ですから自分が助かっていなかったら、まあ言うならば牛馬と同じ事。牛馬は自分の子供が溺れておっても助ける事はでけんとおっしゃるから、自分が泳ぎを知らなかったら人を助ける事はでけんのですから、先ずやはり私共が助からなければいけない。そこで今日私は、ここに問題にしたいのはですねえ、この助かるという事と同時に助けるという事。その見解というかねえ、そのぉ様々にあると思うんです、ね。自分が金光様の信心させて頂いて、本当におかげを頂いたから、ね、同病相憐むで、人の難儀な姿を見ると一遍金光様にお参りして御覧なさい、と言うてお導きをする。その人が助かる。ね、それもやはり、あの助ける、自分が一遍助かった事の事実があるから、それを話す事が出来るのであり、又その人が助かっていく事が出来る。けども私はそうゆう助かりだけに終始しておったら金光様の御信心はたいした事はないと思うですねえ。
ここに、あの病気災難の時に神に助けてもらうからと、こうおしゃるが、やっぱそれだけではです、それだけの助かりであったり助けるであったら金光様の御信心こたぁいらん。又は金光様の御信心がそれだけであったら、金光様の信心もたいした事はない。それも必要なんです。
昨日、一昨日、久富先生所の奥さんのお母さんの式年祭がここで大変盛大にございました。孫達も沢山集まりましてから、その孫達が一人一人もう、そのお婆ちゃんに可愛がられておりますから、もうお婆ちゃんが甘いものが好きやったというものは甘いものをいっぱいお供えをする。お婆ちゃんは取り分け塩餡が好きじゃったからと言うて沢山塩餡のお饅頭を作ってくる。ね、もう大体がハワイで長い間生活をしておられましたから洋菓子が好きじゃったという孫はケーキのお供えをする。もう本当にありとあらゆるお供えをしてからのお祭りでしたですねえ。又子供達が全部で、そのぉお装束替えのお供えもさせて頂いた。本当にあの久富さんが昨日言うておられましたが、「先生、現在私の方の経済状態で、あんな事が出来ようとは思われませんけれども、ね、いよいよあの、その事になりましたら、もう子供達が孫達が皆寄って来てから、皆でああいうお祭りになりました」と言うて昨日喜んでおられます、ね。
私、そのお祭りを奉仕させて頂いて、それは、あの何故そういう風に久富先生が、あの、これは、そん時はお金もなかったら出来んですよち、奥さんが言われた時にです、お金の事は心配するなて、神様に一心にお縋りをする、霊様の働き神様の働きでです、もう出来るから出来るだけの事をすると思えて、というその願い。考えてみると俺達は無事助けられたという事、久富一家がこんなんして助かっていきよるという事。その一番の元をとってくれたのが、あのお婆ちゃんじゃなかったかというのである。奥さんのお母さんですから、久富先生には姑親なんです。あっ、姑親、なんちゅうですかね、あ母さんの、奥さんのお母さんです、自分の本当のお母さんではない。子供は、んにゃ、息子も福岡におられますし、娘さんもおられるのですけれども、結局はあの亡くなられるまで久富先生の所におられましたんですが、ん、一番初めに、このお婆ちゃんが椛目に御縁を頂いたんです。そして久富先生がご承知のようにあのキリスト教の、言わば、その指導して回られる程しに、熱心なクリスチャンでしたんですけれども、お婆ちゃんの導きによって助かった。そして、あの私と、私と話した時にです、これは金光様の信心なたいした事ぞと気付かれたんです。ね、所謂それは助かりじゃなくて、今日私が言おうとしておるですね、本当の助かりの出来る神様だという事が感じられたんです。
まあ、その実例を言うと、その様々な事があったんですけれどね、そのぉ、導かれる時の話がね。そんな訳もありましたから、そのぉ俺達が本当に助けられた、その元を取って下さったのがお婆ちゃんじゃった。そのお婆ちゃんの式年祭だから一生懸命の思いでする。これは、そのお世話になった皆、あの孫達にも呼び掛けてというんで、孫達にも皆、そのそれにまあ、協賛、報祭した訳ですね。
そのお祭りを奉仕させて頂きます時に、大乗的助かり小乗的助かりという事を頂くんです。これは確かに仏教の言葉です。ね、仏教の中には大乗仏教小乗仏教というのがある。大乗というのは大きく乗ると書いてある。小乗というのは小さく乗ると書いてある。私は、その仏教の言葉、勿論教典の中から拾らった言葉でしょうけれども、どういう意味か分からない。けども、まあ私がそこに頂いてから感じたことの実感をそん時のお祭り後の教話にさせて頂いた。
本当の事が分からんから、昨日の御祈念が済んでからですか、それを夜の夜勤がございましたから、秋永先生高橋さん、残っておりました。昨日はこげな風で久富先生の所の、本当にあの、本当に盛大なしかも有難い霊祭があったというて、そん時のお茶請けを出しながら話した事でございます。
けれども大体、あの大乗とか小乗とかっていうのはどういう事だろうと、私ゆったら、高橋さんが早速その大きな辞典をもってきてから、辞典でその調べておられます。「先生、辞典にはこうあります」と言うて説明をして下さった。これは辞典の事ですからたいして詳しい事はのってはおりませんけれども、小乗仏教というのは、現在インドビルマ辺りで盛んに行なわれておる仏教だと、こう言われる、ね。これは、その、所謂おかげ、ご利益専門の仏教なんだと。その為には、例えばあられもない修行をする。ね、一生逆立ちでおるとか、ね。言うなら表行の信心、同時に、その病気なら病気が治る。いろんな事が分かるといったような、その目先目先のおかげを言う宗教が宗教、そういう仏教が小乗仏教という説明がしてある。
大乗仏教というのは見解が非常に広い。まず人間の心が助からなければならないと説いてある。しかもそれは、ね、仏の助かりにも繋がっておらなければならない。自分だけが助かるのじゃない。所謂金光大神がおっしゃるように、神も助かり氏子も立ち行く金光大神もの喜びとおっしゃるような助かりなんです。しかもそれが自分一人自分一家ではなくて、ね、地球上に住むありとあらゆる生きとし生けるものが助かっていかなければならない。そういう、その、まあ広遠な教えを説くのが大乗仏教だという風に簡単に説明してある。そこで今日私がここで、人間は人を助けるという事が有難いと、こういう事はです、ね。んならお導きを頂いておかげで助かった、ね、難儀な問題がおかげ頂いた、病気が治った。これはやはり小乗的なんです。ね、かと言うて、ここで、まぁおもに説かれる、説かれる事は、所謂、ね、あんた方の助かりが神様の喜びに繋がらなつまらん。金光大神の喜びに繋がらなつまらん。ね、神も立ち行く氏子も立ち行く、ね、親のことは子が願い、子のことは親が願い、あいよかけよで立ち行く世界の顕現という事が金光教の助かりなのだという風に説くわけですね。
けれども、ほなら、小乗仏教的な、どうぞ病気を治して下さい。どうぞ金銭のお繰り合わせを下さいと言うて願う事はいけないとも説いてない。願う氏子におかげを授けと教祖はおっしゃておられる。だから、願う氏子に、先ずおかげを頂かれる小乗的なところがあるかと思うと、そこから説いて、説いて説かれ貫かれるところは、大乗的な助かりをもって金光教の助かりと言う風にある、ね。
言うならばこのへんで、言うなら西鉄の株主、大きな株主になると西鉄全線がただで乗られるところの切符をもらうでしょ。何時でもどこででも、その言わば西鉄の軌道というか、ね、バス、乗り物があるところでは、全部、その、家まで乗られるように、ね、ここでは乗らるるけれども、ここでは乗られないといったような偏見なものではなくてです、もう金光様の御信心の有難いものを頂いておればです、何時でもどこでも全ての事が助かりに繋がる。しかもそれが神様も助かって下さる事に繋がるというのですから。
私共の目指す助かりというのはね、そういう私は助かりを目指して頂かなならんけれども、その間に痛い痒いがあっては家行出来がたしとおっしゃるんですから、もう困った問題があったんではいけませんから、困った問題の時には、その事をいちいちお取次を頂いて、ね、痛うございます、痒うございますと素直に神様に赤裸々なお取次を願って、おかげを頂いてゆくという事と同時に信心の目指しというのは、その事だけではない。そういう広遠な所に願いを置いてお互いが信心の稽古をさせてもらう、ね。
今日は十三日会ですから、ここでは本当に十三日という日はね、もう神様がままになって下さる日と、もう今日という今日一日は、ね、神様が喜んで下さる事の為だけに奉仕しよう、神様が一番喜んで下さる事、その事に焦点を置いて今日一日をおかげを受けようと。まあ普通はどうぞお願いします、これもどうぞと言うてお願いをするんだけれども、この十三日という日だけは神の悲願が成就してゆく事の為に奉仕しようというのが十三日会の始まりでした、ね。神の悲願が達成される、神様が本当に助かっていかれる事の為に、その悲願達成の為に奉仕をしようという一日である。そこで、そん為にここではね、皆さんが集まられてから、所謂信心共励、どういう風な信心させて頂いたら神様が喜んで下さるかといったような事をテーマにして、何時も信心の共励が行なわれます訳です。ところが今日はもういよいよ報徳祭が十六日に控えておりますから、大掃除なり内外の所謂大祭の準備の為に奉仕させて頂こうという話し合いが先日でけて、そういう事になる訳なんです。
その為に第一この植樹の事ですね、造園の事がまあだひきちらかしたままですから、まあ大祭までに大体来年の一月の五、六日頃から本格的に、あの造園が始まりますから、まあ一寸まあ見られるようにだけはしとかないくまいと、というので、今日は皆さんがその事になられますから、例えばあの植樹、所謂植込の玄関からこうあの辺の植込だけは、今日は終らせて頂こうというので、昨日よりより幹部の方達が集まって、昨日その準備を致しました。
中でも、まあ終日あの副委員長であります、宮崎さんが朝から晩まで御用に当たられた。そしてその、あの宮崎さんが昨日一日の間に実感した事なんですがねえ、もう唯々神様のお働きには恐れ入ってしまうという一語に尽きる事であった。もうそれは本当にそうです。もうその話を具体的に話しますと、ほぉう神様はこの事の為にですね、もう何十年も前から準備してあったという事が分かる。まあ掻い摘んで申しますとね、ここには日本一というような大きな植木、造園が幾つもあります、この浮羽郡には。所謂植木の町と言われておる位ですから、もう名実共に日本一の町なんです、植木では。
ですからそこのまあ一番大きいのが長寿苑と言う植木屋さんと、あの内山緑樹という、これはもう造園でもう日本一を、と言われておる造園の植木屋さんであります。それがですねえ、二つとも私に関係があるのです。長寿苑の方の支配人が北京時代の友達であったり、それからそのぉ内山緑樹の方の今の内山緑樹の社長の一番お兄さんに当たる方が、私が又北京時代での私の骨董、その漁りの先生であった。大きなえんちょうホテルという大きなホテルを経営しとられました。現在こちらへおられる。それが期せずして一緒にここに造園が始まる頃、そのまあ本当に久しぶりに何十年ぶり会った訳です、両方とも。そんな事で両方とも非常に力を入れて下さった。なら買うもんがある時あっちから買おう。まあ内山緑樹なんかでは兎に角ここの浮羽郡のここの植木の町のここに、所謂玄関口に当たる所にこういう立派なお広前が出来たんだから、ね、ここはもう内山緑樹の面目に掛けて立派な造園をしたいとこう言うのである。
ところが話を聞くと献木が沢山あるから、その献木を断れと言う訳にもいけんからというので、まあ色々問題があったんですけれども、昨日宮崎さんが内山緑樹に行って、だから内山緑樹の方で設計もしてくれておりましたから、先ずあちらに行かなきゃいけないだろう、そしてあちらでまあ具合が悪い時には長寿苑の方へ行こうと言うので、久留米の所謂この人も九州きっての名園主であり庭師であるところの東梅里という先生が一緒に植木見に行って下さったんです。
ところが何時もいない社長が昨日はおった訳ですねえ、内山の方で。そして第一たまがられた事はうちあたりでは、ここではまあだ何回しか会いませんし、まあ言うなら仕方もない風をしてあるもんじゃから、そげん偉い先生とも思わなかったところが、もう内山緑樹に行ったらまるっきり神様を扱うようじゃったそうです。そのぉ梅里先生に対してですね。そらぁもうほんなこて、もう宮様でも扱うごとして、まあ最高のもてなしをすると同時にですね、もう兎に角梅里先生、あの合楽の金光様の事では、この頃あちらの親先生ともお会いしたんですけれども、どうでも自分の方で力を入れたいけれども、こういう難儀な色んな問題があって、ところが梅里先生あなたがやって下さるなら問題は一掃すると言うて、そのぉ社長が喜んだち言うんです。ね、植木の方は承知しました、私が引き受けますから造園の方は、所謂梅里先生宜しくお願いしますと言う間にですね、そのぉ長寿苑の方の話がつき、そのぉそこで、それから内山さんの方での話がつき、しかもこの頃からその私と何十年ぶりに会った一番お兄さんである内山さんがここに見えてから、その丁度長寿苑から献木のトラックが来て、ここに植込をしよった時に見えとったですもん。そしてその先日兄が、あの合楽の親先生にお会いして帰って来てから、お前ぐずぐずしよっとお前はもう競作する余地なかごとなるぞ。長寿苑はトラック一台持って行きよったぞ。はよお前せな、どうもこうも出来んがちゆうてとゆうて兄から言われとりましたち。けども、そのあちらがあんまり献木が多いもんですから、どうゆう風にしてよいか検討がつかなかったけれども、その梅里先生が見えるならどげな造(ぞう)、植木やら決して植えさせらっしゃらん。例えそこに庭があっても全部一遍崩してしまわす。そしてやり直される。新たな仕儀を言うとですね、あのまあどういう名園が出来るか分からんが、名園が出来る事間違いないであろうから、それに対する例えば応援だけは内山がさせて頂きますからと、とゆうてそのまあその兎に角内山と梅里先生があなたが一緒になればどげな庭でん出来ますよと言うような話で終わったと言うんですよ。
まあだそれで細々とした話を聞きますとですね、もう神様の働きのそのタイミングの素晴らしさというのがです、只昨日一日の事だけの事じゃなくて、この為には何十年前からこげな準備があっておったと思わなければおられないような事が沢山あった事です。それをその宮崎さんが目のあたりに見て来てですたい、ね、こういう働きの中にね、私共が御用を頂いておるという事が昨日一日有難かったとこう言うのですよ。ね、所謂生神金光大神ご出現によって天地の親神様のこのような働きのおかげの頂けるのをです、本当に頂けれるおかげの実証されるお広前、教会に御縁を頂いておるという事が有難い。そこでこれはお広前だけの事ではない、教会だけのではない、自分達の上にもそういう働きが受けられておるという事。
昨夜の御祈念に、私、御祈念させて頂いとりましたらね、あのサンタクロース、ね、サンタクロースが、あのこれも又あの歌舞伎で三番叟というのがあるでしょう。あん時に翁が三番叟に対して、あの鈴をこうね、「しからば鈴を」と言うて鈴を渡します。その鈴を打ち振り打ち振り、その鈴のいわばリズムに乗って、あの舞台狭しと喜んで三番叟が踊る場面があります。その三番叟が持つ鈴をね、サンタクロースが持って後の方へ、こう隠しておるんですよ。ね、そういう、その御心眼を頂いて、どういう事だろうと私は思うた。もういよいよ今年も余すところ、まあ二十日余り、所謂その間にはクリスマスが来る。もう二十日しよると正月が来る。お互いクリスマスにはやっぱり、そのやはり子供達はサンタクロースから、もう送られるところの所謂プレゼントをです、楽しみにしておるでしょう。正月にはお年玉を貰おうと思うて楽しんでおるでしょう。まあ言うなら皆もそうなんです。おかげが頂きたいのです、ね。それにはサンタクロースがこうやって後に隠しておる、この例えば鈴の音色を打ち振るようなです、ね、喜びを持って、そのプレゼントでありお年玉を受けなければならない、ね。
教祖様の御幼年時代の事を、その村の庄屋さんである小野光右衛門と言う方が言うておられるのに、あの子は違います。ね、何とはなしにあの子の心の中にはね、それこそ金の鈴を打ち振るような音色に聞き取れておるような風が何時も見えますという意味の事を言うておられます。何時もじぃっと、こう池のはなんかではたで、その池の面を見ながら、なんかこう物思いに沈んでおられるというか、何かこうそのまあ瞑想に耽って、所謂耽っておられるような姿に時々見える事がある。そしてそれをあの子の心の中にはです、金の鈴を打ち振るような、言わばその音色に聞き取れておるような子供だという風に言うとられます。
私共が信心によって頂けれるところの信心の喜び、その信心の喜びに聞き取れ聞き取れ、ね、御用させてもらう。こういう間違いのない働きの中に私共が御用させて頂く。とりわけ今日は、十三日という日は、神様の悲願が成就する日にです、神様の願いがかなえる事の為にです、こうやって一生懸命奉仕をしておる。しかもその奉仕の中には、もう宮崎さんが昨日実感されたような、ね、そういう微妙な神様の働きの中にです、御用頂いておるという事が有難いという御用。ね、心の中に有難い金の鈴の音色を聞くような思いでお互いが日々の御用をさせて頂くからにはです、もう必ずそこがなからなければ本当のプレゼントであるお年玉にはなってこないという、そこは昨夜の御理解でした。ね、ただお願いしてです、お願いしておかげを頂くというのはどこまでも小乗的なもの。信心の教えを頂いて、神様の願に応え奉るというか、神恩報謝の生活がでけて、しかも合楽の場合はこのように間違いのない神様の働きの中に御信心の稽古させて頂いとる、日々の生活をさせて頂いておるという事を実感する事が出来る。
ですから御用に使うて頂いておる事が有難いという事が分かる。その有難いという心を創らせて頂いて受けるおかげ、これを大乗的な私は宗教だという風に思うのです。ね、信心の喜びいっぱいで日々の御用が出来る。所謂私自身が喜びによって助けられておる。仕事が苦にならん。有難い、毎日毎日が楽しい、勿体ないという毎日をさせて頂けれるという助かりを受てからの助かり。そういう助かりを私が先ず頂かなければです、人を助けるという事は出来ない。ね、昨日宮崎さんが言うておられますようにです、昨日これも夜の御祈念に久保山先生の奥さんがお参りしてみえてから、昨日は十二日会でした、あの美登里会ですね。それで終ってから御祈念をしてここで御理解を頂かれて、その御理解の中にです、もうこの合楽の教会としての、大変なです、それももう言うように神様の働きちゃこげんも微妙な事ばい、もうこげな問題がこげな風なおかげになっていきよるよちゅう話をしたんです。
それを例えば久保山先生なんかは、何時も願っておられた事でございましたから、お話を頂きながらです、ね、霊様にね、お父さんて、あっ、いや久保山先生て、今親先生が話しよんなさったのをあなたは聞きよんなさるですかち、その言いながらお話を聞いとったち言うんです。こげな有難い事に合楽がなっていきよりますよち。久保山先生、あなたもこの話を聞きよんなさるですかっと言うてですね、あの言いながら心の中にそれを話し、霊様に話し掛け乍らです、お話を頂いとりましたらはっきり久保山先生の姿を、が現わされたち言うんですよ。そしてから両方に傘を二本持ってですね、親の姿を拝まして頂いて、もうそれこそもう感悲にむせんで今日の御理解を頂いてとゆうて、昨夜参って来て、そのお届けをしとります。
ね、これなんかでも本当に合楽におかげを頂いておるとゆう事は、このような難儀な問題が、このような有難い事に、しかもこれにはこういう働きと準備とが神様にあったとゆうお話の中にです、ね、そういう中にお互いが信心のお稽古をさせて頂いておるとゆう事。ね、本気になればそうゆう働きに自分も受ける事が出来るとゆう事。ね、ようも金光大神御出現により久冨先生じゃなかばってん、ようも自分の家内の母が合楽におかげを御縁を頂いておってくれた。あの母が私一家にこの信心を教えてくれておった。その母の式年祭には、自分には義理の母だけれども、孫達を皆集めて、ね、皆にお婆ちゃんにお世話になった、兎に角もう欲とか得とか言うな、もうお互いがつういっぱい真心いっぱいでこのお祭りを奉仕せろというようなです、有難い事がでけてくる、ね。
そういう私はお互い助かりをね、お互いが願わしてもらうところから、そういう助かりが頂ける。そういう助かるところからです、人を助けてゆくとゆうところの働きが、生れてこなければならないとゆう風に思うのです。
ですから、この四十六節からは、まあこれから感じますところはですねえ、小乗的助かりの匂いが非常に強いですねえ、この御理解は。ね、もう簡単に「病気災難の時に神に助けてもらうのであるから人の難儀を助けるのが有難いと心得て信心せよ」とゆうておられますから病気災難の時だけのように感じられますけれども、本当の助かりというのはです、人間は人を助けることが出来るのは有難いと心得てとゆうところなんです。その助けるとゆう事は、ね、小乗的な意味合いに於いての助かりもあるけれどもです、大乗的な先ず自分自身の心の中に金の鈴を打ち振るような喜びを聞き取れ聞き取れ、それに聞き取れ乍ら生活をさせて頂く助かり。そうゆう助かりをもって人を助けてゆくとという事になった時です、ね、これが大乗的所謂天地に立った信心。言うなら神の願いである、金光大神の願いである、本当に金光教の信義とでも申しましょうかね、それが発揮できるところのおかげ、助かり、そうゆう信心に繋がってゆく訳なんです、ね。
ですから、どうぞ金光教の信心には小乗的な助かりはだめだとはゆうてはないです、ね。ですからある面によって、まあ言うなら断食することもよかろう、お水をかかる事もよかろう。そういう修行もあってもいい。私は悪い事はないと。ね、それによって病気は治ったというおかげを頂いてもいいと思う。けれど、それだけではいけない、ね。そこからいよいよ魂の助かり、ね。いわゆる心の助かり、ね、自分の心に歓喜が湧いてくる。そうゆう信心を会得させて頂いて自分がまず助かる。そして後に人を助けてやれれるおかげになってまいりましたら、いよいよ有難い事になると思うですね。どうぞ。